蘭50
SUZUKI
近所の奥様がスクーターで買い物・・・今やあたりまえの光景ですが、その引き金としてこのスクーターの影響は少なくありません。女優の伊藤蘭さんを起用し『蘭・咲きました』のキャッチコピーとスタイリッシュなデザインで主婦層のスクーター普及に一役買ったモデル。
学生時代の事です。ショットバーでバーテンダーのアルバイトを始めてからというもの、華やかな夜の世界に身をおいて、とりまきの女性にも不自由しない生活...気がつけばあわや留年という事態が目前まで迫っていたのにも気付かず、そんな甘美な毎日にひたり込んでいました。繁華街に通勤するならスクーターがいいよ、と言う姉に譲ってもらったのがこの『蘭』でした。同じ系列店で働いていた女性と同棲をはじめ、仲良くスクーターで並走してお店に通っていました。しかしそんな生活が長く続くはずありません。彼女がライバル系列の店に引き抜かれることをきっかけに関係がギクシャクし始めます。結局そのうち別れることになり、幸か不幸かゆっくりと独りの時間を持てる機会が訪れました。そこで、とにかく大学を卒業しておかねば!と我にかえり、お店を辞める決心をしました。おりしも昭和天皇が病床に伏していたため街は自粛ムードのそんな年末12月30日深夜、お店の営業を終えたあと系列全店のスタッフが集まって忘年会となりました。若干二十歳で店長代理まで上りつめた店を去るという複雑な思いがあったため、その夜の私は特別でした。ベロベロになるまでたらふく飲んだ午前4時、お店の前に無断駐輪していた自転車を「誰に許可得て停めとんじゃー!」と叫びながら数台かかえて放り投げるくらい荒れていた私は、仲間が止めるのをふり切って『蘭』にまたがり家に向かって走りだしました。ほほにあたる冷たい風にかろうじて意識を保ちながら国道を走っていたら、少し前を走行していたBMWが急にフラフラして、歩道の街灯に激しく衝突しました。あん?と思った時にはすでに遅し、その街灯が私の直前にドーンと倒れかかって・・・そこで記憶は無くなっています。次に気がついた時には、レスキュー隊員にほっぺたをバシバシしばかれながら「大丈夫かーっ!?」とだき抱えられていました。傍では(多分BMWを運転していたであろう)女性が額から血を流しながら「私は床に落ちたカセットテープを取ろうと、ちょっとよそ見しただけなのよぉ」と警察官に必死に言い訳していました。そこで『あ、オレまきぞえで事故ったんやな...』と気付き、救急車に乗り込もうと立ちあがりました。すると右足すねに激しい痛みが襲い、立っていられないばかりか再び目の前が真っ暗になりました。薄れゆく意識のなかで、BMW女性の
「ねぇ、このボク死んじゃうの?ねぇ、私のせいじゃないわよね、ねぇ。ボク死んじゃうの?死んでも私のせいじゃないわよねっ!ねぇ〜っ!」という声だけが聞こえてました・・・しかしうるせーババァだな...おまえに殺されて...たまるか...よ...
で、次に目が覚めたらそこは病院の手術室でした。名前と住所を問われたので答えると、先生は「アルコール(お酒)入ってるから麻酔ききませんので、このまま処置しますよ」と言って傷口に入っているガラス片などを除去するためにタワシでごしごし・・・その痛みたるやとても口では表わせません。当然またしても気を失ってしまいました。結局、筋を2本切断して47針縫う大怪我...もう歩けないという恐怖におびえながら年を越し、時代は昭和から平成へと移りゆくのをも病室で過ごしました。
神経が通っていないはずの右すねが今でも時々チクチクと痛みます。その傷痕を手でさすってやりながら、いつもあの日の事故を思い出します。もしあの日(スピードの出ない)『蘭』じゃなくて大きいバイクで通勤していたら、きっと自分は助かってなかったのかなぁ、もう歩けなかったのかなぁ。私のように事故でではなく、生まれつき右足が少し不自由な姉...から譲ってもらった『蘭』
私の命と右足を守るかわりに廃車になってくれた思い出の一台でした。